第7話 KODA COLLARの誕生

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生地 リブニット ニット生地
ポロシャツブームの始まりと言われている1959年の明仁親王(現天皇)と
美智子様のご成婚から、当然ですがポロ衿も絶好調。

法人化した1963年からの60年代後半は、既に自社工場だけでは生産が間に合わず
地方の協力工場に頼んでポロ衿、いわゆるポロシャツ用の衿や袖をガンガン編んでいました。

そうして編んだ品物が毎週月曜日になると関西方面からコンテナで到着します。
この頃の仕事と言えば、それを待ってるお客様に配給するといった感じだったようです。
今では信じられませんが、まさに超売り手市場。『片袖が無くても売れた!』時代。
この頃がまさに莫大小屋黄金時代だったのでしょう。

現在、弊社で作っているポロ衿や袖は、先染め(さきぞめ)と言って
色が染まった糸で編んだものが主流です。
しかし、当時は後染め(あとぞめ)と言って生成(きなり)つまり染まっていない
綿糸その物で編んで、身頃(みごろ)と言ってボディーの生地と一緒に
染めるという方法が主流でした。

後染めのメリットは、ボディーと一緒に染めるので衿や袖と色ブレが無いという点。
その反面デメリットは単色、つまり無地のものしかできないというデザイン性に欠ける点でした。
一般的な柄と言えばラインの入ったものを思い浮かべると思いますが
柄の糸を先染めでやったとしても同じ綿なので、生成を染めてしまえば
当然、柄部分も染まってしまいます。

もちろん黄色のラインで赤に染めてもラインが同じ赤に染まるわけではありません。
ただ、オレンジっぽくなってしまうので黄色にならないことは確かなのです。

そんなある日、当時二代目として奮闘していた親父が染色工場に行ったときの話しです。
霜降りに染まっている不良反を見てふと工場長に聞きます。
親父『これなんでちゃんと染まらなかったんですか?』
工場長『これは、ポリエステルが混ざってたんだよ』
『生地屋が綿の生地と間違えて持ってきてさあ~』
『見た目じゃ分からねぇからなあ=』

・・・

親父『ちょっと待って下さい』
『綿の染め方だとポリエステルは染まらないんですか?』
工場長『当たり前じゃねぇ~か!』
『綿とポリエステルは水と油ぐらい全く違う染料を使うし染める方法だって違うんだぞ=!』
親父『つまり綿染めしてもポリエステルは染まらないってコトですよね?』
工場長『だから~ そうだって言ってるだろう=!』

・・・

これだぁ=!

ポロ衿のライン部分を先染めのポリエステルの糸で編んで染めればラインが
染まらずにキレイに残る!
当時からミシンの縫い糸、いわゆるミシン糸が強度の関係もあって
ポリエステル100%で作られていました。
様々な色のものを縫うためカラーバリエーションも豊富。
早速、グランド部分は綿の生成で、ライン部分をミシン糸で編んで染めてみると・・・

ライン部分は染まらずキレイに残ったのです。
これで、ボディーと衿、袖が同色でありながらラインの柄が入ったポロ衿が誕生したのです。

オレが開発した!

と豪語する親父ですがこの商品を『KODA COLLAR』(コダカラー)と名付け
一時代を築いたのは確かなこと。
開発というか発見というか、原理は簡単、考えればいつか誰かが見いだしたと思います。
ただ、それをいち早く見つけ出し素早く商品化することが何よりも大事なことです。

どんなときも現場にヒントがある。
常に新商品開発を思うからこそ出会うべくして出会うことができる。
いつも念い(おもい)続けることが何より大事だという二代目の口癖。

『特許取っておけば良かったよなあ~』とポツリ。

まあ今ではあまりやらないと言うことは、こいうことはよっぽどでない限り
永遠という言葉は無いってコトですよね。

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兎にも角にも、この成功が二代目の原動力となり商売の面白さにのめり込んでいきます。
大学にはほとんど通わず商いに没頭していた日々。
試験前になると大学前のホテルに缶詰になり友達から借りたノートなので
猛勉強したとか・・・
学生運動で大夫授業も無かったようですが私と違って4年でキッチリ卒業したようです。

そんな4年間も終わりに近づいたころ、母との出会いが会ったとか・・・





2位じゃダメなんですかぁ~(笑)
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